藤井青銅『ラジオにもほどがある』

言わずと知れた『伊集院光オールナイトニッポン』および『伊集院光Oh!デカナイト』火曜日の放送作家をされていた、藤井青銅先生の著作です。その上、伊集院光売り出しの裏側や芳賀ゆいの顛末まで書かれているとなっちゃぁ、買うしかないじゃないですか。ということで、藤井先生の本は『ラジオな日々』とかも実は買って積読になってる状態なんですが(すまん…)、さっそく読了。ちなみに、学生時代に漠然と“放送作家とかなりたいなぁ”とか思って、『ヤングコント大賞』で夢破れしもの*1になったときは、やはり憧れの存在でもありましたので、たぶん私の文章でやたら括弧書きや注釈で補足説明が入るのは、藤井先生の本の影響です(ということで、コレがウザいと思ってた人は、藤井先生の本も読めませ〜ん、たぶん)。
まず、目次の“モーツアルトと合作”ってのみただけで、お、『イタリア大好き』に関しても書いてあるのか、とわかってしまう私も含めて当時のラジオリスナーにはとても懐かしい内容*2いっこく堂のプロデュースの話や、オードリー若林発掘の話なんかは“そんなことがあったのか”となかなか関心させられる内容なのですが、やはり我々の世代としては、伊集院さん、芳賀ゆいに関する記述が気になるところで。
で、これ読んで知ったんですが、上にも『伊集院光オールナイトニッポン』の作家さんって書きましたけど、実際は現場にはほとんどいなかったのね(深夜3時からの放送にはついて行けないという理由で…)。どうりで当時の伊集院さんのトークでも、現場に伊集院さん、江尻D、作家の笹沼さんの3人しかいない“三ちゃんラジオ”だと言われてたし、藤井先生を紹介するときは、芳賀ゆいに倣って“うちの番組の未確認放送作家”と言われてたしね。ということで、番組前に伊集院さんのフリートークの試し打ち(?)には協力していたものの、実際には放送で話されるトークも聴いていなかったとのこと。ちなみに、この本で紹介されている伊集院さんが夏あまりに暑いので、弟と部屋を閉め切ってストーブとか焚いて“我慢大会”をやったという話は、オチでは部屋にあったコーラのスクリューボトル*3が暑さで破裂して弟にコーラが降りかかったものの、気絶していて気がつかなかったという話に膨らんでおりました。
そのほか、芳賀ゆい誕生の顛末とか、『芳賀ゆいオールナイトニッポンスペシャル』*4の裏側とか、うちのサイトの『芳賀ゆい伝説』のコーナーも久々に加筆したいと思うくらいの内容で。大変懐かしゅうございました。そっか、藤井先生、いまはオードリーのオールナイトやってるのか。久々に聴いてみよっかな。

*1:by ウッチャンナンチャンオールナイトニッポン

*2:ちなみに、これもウンナンオールナイトニッポン

*3:懐かしいな。あっという間に広まって、あっという間になくなったね、スクリューボトル

*4:まだ、芳賀ゆい企画の初期のころに無謀にも1部で放送された番組。前の仕事が押していて、ゆいちゃんはほぼ最後のゾーン以外でなかったという伝説の番組。当然ですが、あの途中でケーブルに引っかかって発した“キャーッ!”も演出だったのね