清水義範『バールのようなもの』

この人の本は、ドラマにもなった『国語入試問題必勝法』が好きで、それから短編をかいつまんで読んだりはしていたものの、短編集をちゃんと1冊読んだのは久々かも(ま、この本もブックオフの100円文庫ですけど…)。
短編集とはいってもそのストーリーは、みどりの窓口のむかつく日常を切り取ってみたり、昨年外国人が4人訪れたと言うことで国際化を考えている山奥の村の広報誌をそのまま文字起こしたものだったり、ボクの考えた妖怪コンテストだったりと全く統一感はなく、唯一の共通点と言えばどれも小説らしくないというところでしょうか。ま、それはそもそもの清水義範のスタンスだったりするのですが。『国語入試問題必勝法』もそうだったし。で、その中でタイトルにもなっている『バールのようなもの』も“ニュースで耳にするバールのようなものとはどういうモノだろう?”という疑問から妄想を広げていく小説…ではないな、やはりこの話も。
基本的にはバールのようなものはバールではないというスタンスから推測してみたり調べに行ったり(ほんとに行動している実録小説なのか、これも妄想の範疇なのかは不明)しているんですけど、この本読んでいて、私は気づいたですよ。ストーリーには出てこない結論だったんですけど。それは、バールのようなものとはバールと同じなんじゃないかと言うこと。同じ動物が出世魚として名前が変わっていくように、同じ場所を野辺山とか清里とか言ってみたり*1するのと同じように、アレは道具として使う人にとってはバールだけど、犯罪の道具として使う人にとってはバールのようなものなのだと。つまり、ホームセンターでバールを購入して、領収書に“バールのようなもの代として”って書いてくださいって言った奴は犯罪に使おうとしているに決まってるので、すぐにお縄にしてやると…って、なんか同じ系統の別妄想に陥りそうになってきた。。。

*1:厳密には違う場所なのか?