KOKAMI@network『リンダリンダ』その2

この画質なら内容まで読めないしOK?

昨日ちょっと書いた“例の件”ですが、12月2日以降『リンダリンダ』公演後の劇場内において、鴻上さんが『鴻上壁新聞』と題した張り紙で、朝日新聞の藤谷記者の劇評に対して抗議しています。サードステージのサイトにも同様の文章がありますが*1、『リンダリンダ』を観た人でないと読んでも意味が無いモノだと思ってる*2のでリンクは貼りません。
この中で、鴻上さんは“初めて劇評に抗議する”と書いておりますが、私の知る限り過去にも劇評への抗議はあります。記憶に新しいのは新国立の『ピルグリム』の時に、実際に劇中で使われていないセリフに対して批判する劇評があり、劇を観ずに(または、観ても理解できなかったのに)、(おそらく)台本だけ読んで批判したことへの抗議でした。こういうケースが過去にももう1回ありましたので、少なくとも2度劇評への抗議をしています。でもそのほかでは、辛口の劇評がついていた時もありましたが、たしかに抗議した事は無かったように思います。
つまり、マイナスの劇評が書かれることは別に問題無い(むしろ、賛否両論あるような舞台をやっているので至極当然)。しかし、劇評を書く資格が無い(劇を観ていない)奴が批判をする事に抗議したと言う事でしょう。
で、今回のケースなんですけど、私は元の劇評を見ていませんのでこの“抗議”の是非はわかりませんし、鴻上さんが言う“陰影のある人間ドラマ”や“奥行きのある現代社会の描写”については、今回の客層であれば“それは求めていないので読み取れなかった”人もいるだろうと思うのですが、やはり今回の抗議の論点は“批判しようと思って観た上での劇評である”という点ですね。
物事は、見る角度によってどうとも読み取れるので、“批判しよう”と思って見ると確かに“アラ”は見えてくるのでしょう。なんで、(どんな怨恨があってかは知りませんが)否定的な劇評を書こうと思えば、それはどんな劇に対しても可能なんです。でも、基本の所で、劇評ってなんのためのモノなの?って事に立ちかえると、多くは“面白い劇を観たい”と思う人がそれを選ぶ為の基準ってことでしょ。そう考えると、そこに“否定的に観ればつまらない劇”の紹介は要らんわけですよ。そういう観方しか出来ない記者は、つまり“劇評を書く資格が無い”という事での抗議なんです。
そりゃあねぇ、「これ、つまんないよ」って教えてくれる文章読んでも“だから何?”でしょ。それより、「これ、つまんないけど、でもココだけは面白いよ」を教えてくれる文章の方が読んでて得するしね。だから私も、ワーストランキングは心の中にはあっても別に言わなくてもいいし、俺内ランキングだけを書いているのです。物事のつまらないとこ探しても、やっぱつまんないよ!

*1:一応、劇場内の文章は感激後の気分を害しないための配慮か、締めに“べいべー!ろっくんろーる!”みたいな記述もある

*2:例えるなら、ケンカの野次馬にはなれるけど、結局なんでケンカしてるのかは完全にはわからないから、って感じ?